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「あれ、柚。起きてたの?」 いつの間にか眠っていたらしい。自分ではぼんやりと考え事などしているつもりだったのに。戸口から入ってきた人に気づかないなんて、相当良く眠りこけていたに違いない。そんな自分がとても恥ずかしくなって、柚羽は赤くなった。 「少しは具合良くなった? 熱は……?」 額に当てられた手のひらがひんやりしている。きっとここに来る前に、表の水桶で清めてきたのだ。 「おかえりなさい、余市。……あれ、今日は夜警の番じゃなかった?」 「私は大丈夫って言ったでしょ? お務めは大事なんだから」 「そうは言っていられないでしょう、他の奴に代わってもらったから平気だよ。気にしないで、ゆっくり寝ていて」 仕事の速い人というのは自分とはまったく別の人種だと信じていた柚羽であったが、こうして一緒に暮らしてみて分かる。ひとつの物事をのろのろと要領悪く進めていく自分に対して、彼はまず段取りを考えてから行動する。 「ほら、どうせ何も食べてないんでしょう。頂き物の果物と干菓子があるけど、食べる? 何なら、粥でも炊こうか」 こちらが何も言わないうちに、寝台のすぐそばのテーブルには色々と並べられていく。さらに着替え用にと肌着や腰巻きまで出し始めるから、慌ててしまった。 「あん、いいよぉ。……そんな、自分でやるからっ。赤さまじゃないんだから、ひとりで出来るものっ! やだぁ」 すると、余市の方はこの部屋に入ってきたときから少しも崩していない笑顔で、こちらを見る。少し細めた瞳に見つめられると、また恥ずかしくなってきた。しかし、彼はそんな柚羽にはお構いなしで、さらに言葉を続ける。 「髪も乱れてる。今日は綺麗に結うとかえって邪魔だよね。でも少し櫛を入れようか。……ああ、横になったままでいいから」 「だいたい柚は働き過ぎなんだよ。お方様の産後の肥立ちも順調だし、少し休ませて頂いた方がいい。南所の方もバタバタしてるんでしょう? 俺がこうして近くで見てるだけでも心配になるくらいだから、倒れない方がおかしいって」 言葉だけ聞いているときつそうだけど、余市の声はどこまでも穏やかで耳に心地よい。ただ、寝台に横たわって髪を梳いてもらっているだけなのに、すごく満たされて……なんか泣きたくなる。 確かに、ちょっと頑張りすぎかなとは思っていた。余市が西の集落への遠征から戻ってきて、すぐにここの居室に移った。その引っ越しのあれこれもあったし、前後してお方様が産気づかれた。もう3回目のお産になるが、それでも気は抜けない。 余市には悪いなと思ったけど、新婚早々宿直(とのい)もたびたびであったし。自分でも知らないうちに疲れをためていたのかも知れない。 お方様が無事に男君をお産みになり、南所では悪阻の治まった多奈様がお務めに復帰されたとたんに、がくっと身体の力が抜けた。高い熱が3日ほど続き、そのあとは微熱がだらだらと長引く。周囲からは「おめでた?」とか期待されて、さらに脱力したりして。 「でもぉ……いいよ〜。こんな風に、お務めを代わって頂いたりしないで。仕事熱心で有名な余市がそんなことすると、皆がびっくりするわよ」 そう言ったあとで、「侍女の皆様がまたなんて噂しているか、頭が痛いわ」と付け足した。小さな声で。 「いいじゃない、そんなこと」 こちらが恥ずかしくて、どうしようもない状態に置かれても。余市の方はどこ吹く風、と言う感じだ。 御館務めの侍女の方の中には余市に想いを寄せていた者も少なくない。柚羽が知っているだけでも片手に余るほどだから、多分実際はもっと多いのだろう。「どうして、あのような方が余市様の……」とか言う目で見られると身がすくみそうだ。 恨みがましく、ちょっと睨み付ける。しかし、その視線に対しても余市はにこにこ微笑むばかり。 「いいんだよ、こうして俺は柚の傍にいて、いつでも世話をしてあげられるだけで本当に幸せなんだ。こんな風になれるなんて思っていなかったし」 そこまで言うと、彼はふっと視線を窓の外に向けた。濃緑の瞳が辿る先にあるのは、深い群青の闇。夏の盛りなので、それほど重くはないが、やはり夜は気が身体にまとわりつく。一日のお務めで少し乱れた後れ毛が、柔らかくなびいていった。 「本当に……柚とこうしてひとつの居室で、睦まじく過ごせるなんて……。病の時には誰よりも傍で世話を焼いてやれるなんて夢みたいだ」 「余市……」 時々。こんな風に、彼はすがるような目で見つめてくることがある。こうしてふたりでいるのに、自分はずっと余市の妻なのに。それがとても儚いもののように思えてきて。そうするとたまらない気持ちになる。 つんと、胸を突く痛みを覚えて視線の先の人を見つめると。彼も気づいて、顔をやわらかく崩した。 「西南の御領地にいた頃は、柚が具合悪いと言われても、見舞うことも出来なかったでしょう? あっちでは本当に女子と口をきくのもはばかられるような感じだったし。お方様に柚が伏せってると言われると気が気じゃなくて、寝所まで上がって世話をしてやりたいって思ったんだよ、いつも。そんなこと、出来るはずもないのにね……柚の寝所の窓の下をうろうろしたりして。寝息だけでも聞こえないかなっておもったり」 「え……?」 「それだけじゃないよ、こっちに来てからだって。侍女の部屋には絶対に入れないでしょう? 柚がちょっとでも具合悪いって聞いたら、心配で心配で。もしも柚がお方様みたいによく寝込んでいたら、今頃俺の方が病気になっていたかも知れないよ、心配のしすぎで」 薬湯の器を持つ長い指。そこが少し震えて。こちらまで胸が痛くなる。大切にされてるって知ってる……でもそうやって想われるのが怖くなる。こんなでいいのだろうかって、こんなに愛されていいのかなって。 「具合の悪いときは、俺に世話をさせて。柚はいつも頑張っているんだから、たまには甘えていいよ。そのために俺がいるんだから」 「……余市」 優しく抱きしめられて。ふんわりと優しい香りに満たされて。その瞬間に気づく。生きていることの心細さを。ささやかなぬくもりだけしか持っていない自分を。 急に不安になって、強くしがみつく。すると、しっかりと支えてくれてる人が耳元に囁いてくる。 「薬湯、口移しで飲む? その方が早く良くなるかもしれないよ」 ――俺の柚を想う気持ちは、どんな薬よりもずっと効き目があるんだからね。 おしまい (031224) 明るいお話になるはずだったのに、ちょっとメロウですね……さらにクリスマスとは無関係だし。
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季節はまた新しく花の季節を迎えようとしていた。 それほど薄暗い印象もない森を抜けてしばらく行くと、なだらかな坂道の向こうにゆったりした造りの居室(いむろ)が見えてくる。裏手の方からまっすぐに細い煙が上がっているのを確認しながら、彼は一歩一歩進んでいった。 だが、今は違う。 足がひとりでに前に出る。もう、この上ないほど急いでいるのに、さらに加速してしまう。お務め用の装束は袴の丈も長く、一刻でも早く戻るために何の支度もせずに飛び出してきた。裾がバサバサと足にまとわりつき、何度も転びそうになる。だが、彼は自らの歩みをゆるめることをしなかった。 目の前の傾斜がなくなり、平坦な場所に出る。その頃にはもう、目的の場所はすぐ傍。遠目になにやら紅いものがちらちらと見え隠れして、あれはなんだろうと思っていた。近くまで来てようやく分かる。柔らかい掘り返したての土の上に、綺麗に植えられた小さな花たち。またどこからか貰ってきたのだ。 ――ようやく、ここを自分の居住まいだと思うようになったのだな……。 半ば強引に自分の妻にして、この娘の両親にすら事後報告だった。身分差のある縁組みには皆が難色を示したが、彼はそんな雑音は全て振り払った。 あれから、半年あまり。手に入れた幸せは更に愛らしく、他の何者も寄せ付けない。夜な夜な腕に抱く花は芳しく、彼を虜にしたままだ。 もう一歩、あと少しだ。そう思うのに、何故か足が重い。なんと言うことだろう、一瞬でも早く戻りたいと願っているのに。自分のものである足にこんな風に背かれるとは。……否、ここでヤケを起こしてどうする。馬鹿馬鹿しいにも程がある。 「お帰りなさいませ……まあ、若様」 建物の影からひょっこりと顔を出した娘が、すぐにこちらに駆け寄ってきた。水仕事で濡れた手を前掛けで拭ってから、そのひんやりした手をこちらに差し出す。 「如何致しましたか? お顔の色が優れませんよ……、あの早く中にお入りになって。すぐに桶を用意して参りますから――」 もちろん、使用人のひとりやふたり置いてもおかしくない身分だ。だから、何度もそうしようと言ったのだ。なのに、娘は頑なに拒む。人を使うことなどもってのほかだと言うのだ。女の童(めのわらわ)でも雇って教育するのが上流階級のたしなみなのに、とてもそんな畏れ多いとは出来ないと首を振る。 ――面倒なことなど、全て他に任せてしまえばいいのに……。 きびきびと仕事をこなす小さな背中を見ながら、春霖はふうとひとつため息をついた。 *** 「やはり、お熱がかなり高いですよ? お疲れになったのでしょうか、このところ華楠(カナン)様のお供で方々にお出でになっていらっしゃったから……」 家督を継ぐことを放棄してこの地に骨を埋める覚悟をしたとはいえ、春霖は今でも西南の集落・重臣の家の者だ。さらに、母親は竜王様の一の君・華楠様の乳母であった方。都での名の通りも良い。そんな男の妻となったのだ。もっと堂々としておればよいのに。どうして、このように何でも自分でしたがるんだろう。 「幸い、明日はお休みですよね? 久しぶりにごゆっくり出来ますよ。御館でのお務めに支障がないよう、しっかりと治してくださいませ」 「やっ、若様っ! お離し下さいませ。大切な衣がシワになったりしたら大変です。痛みやシミがないかどうかも確認しなければなりませんし……」 必死になって、足をあちらに向けようとしているが、どうしてそんなことをさせられるだろう。更に強く引くと、抱えた衣が腕から逃げて宙を舞い、小さな身体はそのまま春霖の腕に落ちた。さらさらと美しい髪が辺りに帯になって漂い、それのいくつかが彼の頬にも舞い降りてくる。 少し身を起こして、後ろから抱きしめる。熱を帯びた身体にひんやりとした衣が心地よかった。 「若様ってば……、もうっ……」 「そのように、聞き分けのないことを。いつもこうして、仕事の邪魔をなさるんですもの……」 「俺は一日中、お前に会いたくて会いたくて。お前のために辛い務めにも耐えているのだよ。こうして戻ってきたときくらい、もう嫌と言うくらい傍にいておくれ? だいたい霧は働き過ぎなのだ。もっと楽をしていいのだよ、俺の母上のように面倒なことは人に任せて、全ての気持ちを私に向けていれば良いのに」 長い時間、身の回りの世話をさせることでふたりの関係を保っていた。何故なら、それがなくなったときにふたりの関係も途切れると分かっていたから。どうにかして側に置きたいと思った、そして娘もそれに応えてくれた。小さな身体で、年端もいかぬ頃から、御館務めの侍女にも全くひけをとらないほどに全てをこなしていた。 自分のためにだけ、何かをしてくれる。そのことが幸せだと思えたあの頃。でも……もうそれだけでは飽き足らない。こうして手に入れてしまえば、もう自分のために立ち働くことすら制したくなる。出来ることなら、この居室に戻ったときは片時も離れずに側に置けないか。 正直、きちんと出仕するようになって、今まで以上に仕事は辛くなった。今まで避けていた上役とのつきあいもどうにかこなしている。全てはこの地でしっかりと根付くため。狭霧を手放さなくて済むための必死の毎日だ。 「……困りますわ、そのようなことを仰っては」 「私、いつまでも若様おひとりのお世話だけしているわけには参りませんよ?」 「――え?」 「さ、狭霧っ。どうしたのだ、突然、何を言い出すのだっ……!」 慌てて、小さな肩を抱いてすがりついてしまう。腕の中に押しとどめた娘が、くすっと笑い声を漏らした。 「あの、若様。――私は、若様の妻なのですよね?」 「そ、そうだが……それが何か……っ?!」 落ち着き払った娘に対し、春霖の方は体中で慌てている。そうしているうちにじんわりと手のひらに汗までかいてきた。 「妻ならば……若様のお世話と同じくらい大切なお務めがあるはずですよ? 私、一度に大きな赤さまのお世話までは出来ませんから。今から慣れていてくださらないと――」 「……?」 春霖は喉の奥に言葉が張り付いて、どうしても声を発することが出来なかった。呆然としている彼を残して、娘はさっさと立ち上がる。 「若様のお世話はいざとなったら他の方にお任せしても宜しいですけど……」 ふんわりと花のような香りを残して、狭霧は上がり間へ行ってしまう。頭の中に詰め込まれた単語のひとつひとつをつなぎ合わせながら、春霖はぼんやりとした頭で思案した。 「わ、待てっ! 話が終わってないではないかっ……! 霧っ、それは、あのっ……どういうっ……?」 ――まさか。そんなことが……だが、そうなのか。そうだったら、どうなるのだっ?! もう、額を覆うぼんやりとした気分などと付き合ってられない。勢いよく上掛けを払うと、春霖はそう叫びながら、妻の元に走った。 おしまい(040105) 熱も吹き飛ぶほどの、大事件が起こったようですが。彼には相変わらず、不安が残りますねえ。
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さらさらさら。流れる夜闇の気は、群青の帯。移りゆく季節に、辺りが段々色づいて来るというのに、今頃になって体調を崩すなんて。本当にしっかりしている人だと思うのだけど、時々分からなくなる。 「お加減はどう……? 少しは楽になったかしら」 薬湯の乗った盆を持ち、柚羽は奥の寝所に戻ってきた。むずかる末の子を寝かしつけ、一息。ようやくこちらのお世話が出来る。 「お顔の色は少しいいみたいね。でも、今しばらくは大事を取らないと。あまり無理をしては駄目よ、これからが忙しい季節になるのだから」 「う……んっ」 「ごめん、柚。ひとりでみんなやらせて。子供たちはもう大丈夫?」 夕刻から伏せっていたから、髪は解いて垂らしている。肩の下まで朱の流れを伸ばした姿が、彼を年齢以上に若々しく見せる。もしかして、いくつもの季節を遡ってしまったのではないかと錯覚してしまうほどに。口元を緩ませた微笑みも、出会った頃と少しも変わらなくて。それを見つめていると娘時代のように胸が高鳴ってしまう。 「うん、みんなもう寝たから。安心して、余市もゆっくり休んでね」 去年の夏、一番上の娘が嫁いだ。今まで、下の兄弟の面倒を一手に引き受けてくれた子だったので、最初はひとり抜けた空間がとても大きかった。戸惑いつつも受け入れるのに、長い時間が掛かった気がする。もちろんそれは柚羽だけが感じていることではなく、夫も、他の子供たちも同様であった。 夫婦(めおと)になってから、5年ほどは子宝に恵まれなかった。それを随分気に病んだ時期もある。だが、一人目を身籠もったかと思ったら、そのあとは息つく暇もなく次々に産まれる。気づけば、そこら辺の家よりもずっと子供の数が多くなった気がする。 柚羽は竜王様の御館で侍女として、今なお多忙な毎日を送っている。亜樹様と沙羅様の若君・華楠様の乳母(めのと)となっていた秋茜様は数年前に夫君・雷史様に伴われてお里にお戻りになった。柚羽はそのあとを任されたことになり、御館でもたくさんの御子様方に囲まれ、また家に戻っても我が子がまとわりついてくる。もちろんそれは厭うことではなく、とても幸せな毎日だった。 疲れがたまって当然なのだ。しかも……このごろでは、それに上塗りするように色々と心配事が絶えないらしい。今日も早めに戻ったかと思ったら、少し休みたいと横になってしまった。以前なら考えられなかったことで、ちょっと不安になる。
ふと部屋を見渡すと、窓際の棚に薄紅の花が一枝活けられている。昼間、ひょっこり顔を出した娘が、自分たちの居室の庭で初めて咲いたものだと届けてくれたのだ。夫の視線もそれを見つめていた。 待ち望んだわが子を抱いたとき、夫の目には光るものがあった。それを見たとき、ようやく肩の荷が下りた気がしたのをまるで昨日のことのように思い出す。 娘は――狭霧は、柚羽にとっても夫にとっても、何よりも大切な存在だった。あとから産まれた子供たちも比較できないほどそれぞれに愛おしい。だが、狭霧は……自分たちの想いを写し取ったかのように、出来すぎたくらい素晴らしい女子(おなご)に成長した。その過程で、柚羽は何度も「本当に自分がおなかを痛めた子供なのだろうか?」と首をひねったほどである。 「……幸せならば、それでいいと思わなくてはならないんだろうな」 触れればこぼれてしまう花びらをそっと包み、夫は娘を嫁がせた日と同じ言葉を口にした。 多くは語らないが、今でも少し悔やんでいるらしい。望まれた縁組みではあったが、やはり身分違いの相手である。あれこれと噂する者もあったし、実際にあまり素行の良い御方ではなかったし。今ではすっかり良き夫として暮らしていることが奇跡に思える。 「こんなに近くにいてくれるんだもの、困ったときは声を掛け合えるわ。それに……父上が倒れたなんて耳にしたら、またすぐに飛んでくるんだから」 「そうだな……」 夫は腕を窓際の花から元に戻すと、今度は柚羽に向かって手招きした。何だろうと盆を置き、寝台のところまで歩いていく。長い腕が、するりと回ってあっという間に抱き取られていた。 「や……んっ、待ってっ、何するのっ!」 「ふふふ……柚、あったかいな。やっぱり、柚がいると元気になるよ。こうしているのが、一番落ち着く」 ――ふう、と頭に落ちる吐息。背中に回された腕に力がこもる。何かを深く考えているみたいに。思い当たることはいくつもあるが、やはり……あれだろうなと思う。柚羽も夫の背に腕を回した。 「また、何か困ったことを? ……若様ですか?」 この場合「若様」とは、元のご主人様・雷史様と秋茜様の御子である春霖様を指す。赤さまの頃からお育てしたためか、我が息子のように愛おしく思えるのだ。ただし、同じくらい心を乱されるのも事実で。 「大丈夫かなあ……今度、離の集落まで華楠様のお供をすると言うのだけど、そこの仲間内で一悶着あったらしくてね。まあ、詳しく話を聞けばどちらとも非のある様子だけれど、ほら、春霖様はどうしても悪目立ちしやすいから。華やかだということが、裏目に出るのだろうな。もう少し、その辺をわきまえて下さるといいのだけど……」 南所の侍従頭様が、こちらに苦言を申し立てに来たという。別に夫に何があるわけでもなく、とっくに元服をお済ませになった若様なのだからご自分でどうにかするのが筋だと言える。ただし、ご両親がお里に遠くいらっしゃるということで、お世話役の夫にあれこれ言いたくなるのだろう。 「あれじゃあ……狭霧も方々で大変だろうな。それをよくもまあ、あんなに楽しそうにしていられると感心するよ。あの子は本当に何もかもを吸い取ってしまうんだね」 そこで、一呼吸置いて。それからまた話し出す。 「――本当に……人の親になられて、大丈夫なのかなあ……」 花の枝を抱えて訪れた娘は、嬉しそうに報告した。年の瀬には新しい家族が増えると言うのだ。まだまだいたいけのない身体で、本当に大丈夫なのだろうか。 「何を言うの、余市だってそしたら、お祖父様になるのよ。……何だか、おかしいわね。そんな感じがしないけど」 まあ、そんなことを今言っても仕方ない。わざと明るくそう言って、笑い声を上げた。だけど、こうしているとだんだん別の考えがふくらんでくる。すっかり馴染んだ衣の香りを感じながら、胸の奥につんとした痛みを覚えた。 「……どうしたの、柚?」 すぐにその変化に気づいた夫が、訊ねる。柚羽はゆっくりと顔を上げた。 柔らかい濃緑の瞳が揺れながらこちらを見つめていた。いつもそうだ。この色を見ると何とも言えない気持ちになる。年齢を重ね、壮年の道をひたすらに歩み、以前に増して豊かな味わいを匂わせる人。だけど、一番奥を流れるものは変わらない。 「ううん」 「最初はふたりから始まって……そうして家族が増えて。でもだんだんまた子供が巣立っていくから、最後はまたふたりに戻るのね」 「そう……かもしれないな」 静かに唇を重ねて、お互いを深く感じ合う。こうして何度も何度も始まるのだ、最初から。くすぐったくて恥ずかしくて……でもあったかくて。 「ねえ、柚?」 「久しぶりに……しようか?」 「――えっ……?!」 柚羽は慌てて身を剥がそうとした。でも、こういう場合、夫の力のほうが勝るのは当然だ。気づくとしとねの上に縫い止められてしまう。 「ちょ、ちょっと待ってっ! ……あの、あのねっ。私……娘と一緒にお産するのはいやっ! いくらなんでも、それは……」 真っ赤になって訴えるのに、夫は嬉しそうに微笑んで首筋に唇を落とす。そこからじんわりと感じる熱。 「いいじゃない? 俺もまだ、若様に負けるのは嫌だな。ちょっと、対抗したくなってきた」 ――もう、どうしてそうやって競い合おうとするの? いい加減にしてよ……そう言いたいんだけど。包まれる優しさにいつか全てを忘れてしまう。 窓から、涼やかに気が流れ込んでくる。ゆらりと薄紅の花が揺れ、そこから新しい季節の香りが広がってきた。 おしまいです(040119) |
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